スープを捨てた日——排水口に、お金が流れていった話
2026-08-15

今日は、捨てた話をします。
前に、原価の話を書きました。一杯900円のラーメンの、材料費は約300円。——今日はその原価が、目の前で排水口に流れていく話です。
まず、正直に書きます
うちの店ではね、残ったスープを漉して、翌日に使うことがあります。というか、使います。
こう書くと驚く人がいるかもしれませんが、これ、手を抜いてるわけじゃないんですよ。ちゃんと漉して、ちゃんと管理して、味の基準を満たしてるものを使う。原価率を考えたら、当然の工夫です。スープって、お金と時間のかたまりですからね。捨てずに活かせるものは、活かす。
ただし——「基準を満たしてれば」の話です。
その日、スープがコテコテになってた
ある日のことです。
火が強すぎたんですね。煮込みすぎて、残ったスープが、コテコテになっちゃってたんですよ。
さあ、どうするか。天秤が始まります。
選択肢①:冷やして、明日使う。 原価は守られる。お金は流れない。……でも、味は、僕の基準じゃない。
選択肢②:思い切って、捨てる。 味は守られる。……でも、お金と時間が、まるごと消える。
僕はしばらく、寸胴の前で考えました。「どうしようかな。いや、でもなあ」って。

捨てました
で——捨てました。
シンクにスープが流れていくときのあの感覚、今でも覚えてます。
お金を、そのまま流してるような感覚なんですよ。だってスープって、原価のかたまりですから。材料代がかかってる。ガス代がかかってる。何時間も、自分がじっくり煮込んだ時間もかかってる。それが、ゴボゴボと、排水口に吸い込まれていく。
心をね、えぐられるような感覚がありました。
「わあ……スープ捨ててる、俺」って。
罪悪感、ありましたよ。正直。もったいないことをしてる、っていう。
それでも捨てた理屈
じゃあ、なんで捨てられたか。天秤の反対側に、これを載せたからです。
このスープをお客さんに出したら、未来の売上が下がる。
コテコテのスープを飲んだお客さんは、何も言いません。クレームも来ないかもしれない。ただ——「あれ、今日ちょっと違うな」って思って、静かに、次から来なくなるんですよ。
前に書いたとおり、うちは「醤油ならあの店」って言ってもらうことに全部を賭けてる店です。その「あの味」が、一杯でもブレたら、賭けてるもの全部が削れる。
目先の数千円と、未来のお客さん。天秤はもう、傾いてました。
だから、痛みを取って、捨てる。そしてフレッシュなスープをまた作って、ちゃんとした一杯を出す。そうすれば、またお客さんが来てくれる。——そう信じて、流しました。
捨てたのは「スープ」じゃなくて
あとから整理して、気づいたことがあります。
あの日、僕が捨てたのは、スープじゃないんですよ。「今日の原価」を捨てて、「明日の売上」を買ったんです。
そう考えると、あれは損失じゃなくて、投資なんですよね。世界でいちばん痛い投資ですけど(笑)。
原価率の記事で「うちは31%です」って書きました。あの数字の裏にはね、実は「捨てた日」も含まれてるんです。原価率を守るっていうのは、ケチることじゃなくて、生かすものと捨てるものを、正しく分けることなんですよ。
……と、ここまで言うとね、こう思いますよね
「いい話にしてるけど、そもそも煮込みすぎなければよかったのでは?」
——はい。まったくもって、そのとおりです(笑)。
捨てる決断は、かっこよくもなんともないんですよ。いちばんいいのは、捨てなくて済むように仕込むこと。 火加減をミスらないこと。あの日の僕は、その手前で失敗してるんです。
だから、捨てた日の夜は、罪悪感と一緒に、反省もしてます。「明日は、捨てない仕込みをしよう」って。捨てる勇気より、捨てない腕。 目指すのは、あくまでそっちです。

痛みを、忘れないようにしてます
まとめます。
スープを捨てた日は、何回かあります。慣れたかというと——慣れないですね。毎回、心がえぐられます。
でも、それでいいと思ってるんです。というより——
スープを捨てることに、慣れたらダメなんですよ。
もし僕が、スープを平気で捨てられるようになったら。それはたぶん、原価の重みを忘れてるってことです。逆に、もったいなさに負けて基準以下のスープを出すようになったら、それは未来のお客さんを捨ててるってことです。
捨てるたびに痛い。でも、捨てるべきときは捨てる。 この痛みが、たぶん、ちょうどいいんですよ。
痛みを感じながら流すスープの音は、僕にとって「基準を守った音」でもあるんです。