スープを捨てた日——排水口に、お金が流れていった話

夜の厨房で、湯気の立つ寸胴の前に腕を組んで立つ店主の後ろ姿

今日は、捨てた話をします。

前に、原価の話を書きました。一杯900円のラーメンの、材料費は約300円。——今日はその原価が、目の前で排水口に流れていく話です。

まず、正直に書きます

うちの店ではね、残ったスープを漉して、翌日に使うことがあります。というか、使います。

こう書くと驚く人がいるかもしれませんが、これ、手を抜いてるわけじゃないんですよ。ちゃんと漉して、ちゃんと管理して、味の基準を満たしてるものを使う。原価率を考えたら、当然の工夫です。スープって、お金と時間のかたまりですからね。捨てずに活かせるものは、活かす。

ただし——「基準を満たしてれば」の話です。

その日、スープがコテコテになってた

ある日のことです。

火が強すぎたんですね。煮込みすぎて、残ったスープが、コテコテになっちゃってたんですよ。

さあ、どうするか。天秤が始まります。

選択肢①:冷やして、明日使う。 原価は守られる。お金は流れない。……でも、味は、僕の基準じゃない。

選択肢②:思い切って、捨てる。 味は守られる。……でも、お金と時間が、まるごと消える。

僕はしばらく、寸胴の前で考えました。「どうしようかな。いや、でもなあ」って。

寸胴を傾け、シンクに琥珀色のスープを流している瞬間

捨てました

で——捨てました。

シンクにスープが流れていくときのあの感覚、今でも覚えてます。

お金を、そのまま流してるような感覚なんですよ。だってスープって、原価のかたまりですから。材料代がかかってる。ガス代がかかってる。何時間も、自分がじっくり煮込んだ時間もかかってる。それが、ゴボゴボと、排水口に吸い込まれていく。

心をね、えぐられるような感覚がありました。

「わあ……スープ捨ててる、俺」って。

罪悪感、ありましたよ。正直。もったいないことをしてる、っていう。

それでも捨てた理屈

じゃあ、なんで捨てられたか。天秤の反対側に、これを載せたからです。

このスープをお客さんに出したら、未来の売上が下がる。

コテコテのスープを飲んだお客さんは、何も言いません。クレームも来ないかもしれない。ただ——「あれ、今日ちょっと違うな」って思って、静かに、次から来なくなるんですよ。

前に書いたとおり、うちは「醤油ならあの店」って言ってもらうことに全部を賭けてる店です。その「あの味」が、一杯でもブレたら、賭けてるもの全部が削れる。

目先の数千円と、未来のお客さん。天秤はもう、傾いてました。

だから、痛みを取って、捨てる。そしてフレッシュなスープをまた作って、ちゃんとした一杯を出す。そうすれば、またお客さんが来てくれる。——そう信じて、流しました。

捨てたのは「スープ」じゃなくて

あとから整理して、気づいたことがあります。

あの日、僕が捨てたのは、スープじゃないんですよ。「今日の原価」を捨てて、「明日の売上」を買ったんです。

そう考えると、あれは損失じゃなくて、投資なんですよね。世界でいちばん痛い投資ですけど(笑)。

原価率の記事で「うちは31%です」って書きました。あの数字の裏にはね、実は「捨てた日」も含まれてるんです。原価率を守るっていうのは、ケチることじゃなくて、生かすものと捨てるものを、正しく分けることなんですよ。

……と、ここまで言うとね、こう思いますよね

「いい話にしてるけど、そもそも煮込みすぎなければよかったのでは?」

——はい。まったくもって、そのとおりです(笑)。

捨てる決断は、かっこよくもなんともないんですよ。いちばんいいのは、捨てなくて済むように仕込むこと。 火加減をミスらないこと。あの日の僕は、その手前で失敗してるんです。

だから、捨てた日の夜は、罪悪感と一緒に、反省もしてます。「明日は、捨てない仕込みをしよう」って。捨てる勇気より、捨てない腕。 目指すのは、あくまでそっちです。

朝の光の差す厨房で、磨かれた寸胴に新しい水を張る手元

痛みを、忘れないようにしてます

まとめます。

スープを捨てた日は、何回かあります。慣れたかというと——慣れないですね。毎回、心がえぐられます。

でも、それでいいと思ってるんです。というより——

スープを捨てることに、慣れたらダメなんですよ。

もし僕が、スープを平気で捨てられるようになったら。それはたぶん、原価の重みを忘れてるってことです。逆に、もったいなさに負けて基準以下のスープを出すようになったら、それは未来のお客さんを捨ててるってことです。

捨てるたびに痛い。でも、捨てるべきときは捨てる。 この痛みが、たぶん、ちょうどいいんですよ。

痛みを感じながら流すスープの音は、僕にとって「基準を守った音」でもあるんです。